サザンカと含紅桜

天然記念物の「大さざんか」と「含紅桜」、また神域の花々や巨樹などの自然環境を紹介します。

 

 

天然記念物のサザンカ 満開の圧倒的な美しさ


天然記念物に指定されています大サザンカは境内漱玉亭庭園跡の石組みの中に生えています。庭園は江戸時代初期に藩主の京極侯が造園したもので、次の藩主の永井侯も此の地をこよなく愛しました。その石組みには永井尚長の書いた「漱玉」の文字が彫られています。宮津藩主が庭を造り出したのが1640年代ですから、その時より400年近くが経過していることになります。
このサザンカは11月初めに花を付けはじめて中旬に満開となります。サザンカの花は開けば短期間で散り、また次のつぼみが開く事を繰り返しますから、満開となればその時期はしばらく続き境内は花の匂いでいっぱいになります。
年を越しても咲き続けますので桜のように見に行けば、既に散っていたと言うことはありません。ただ、圧倒的な満開を楽しむのでしたら12月初旬までにはお越し下さい。

 

満開は11月中頃から12月

山王宮サザンカ

サザンカはお椀を伏せたようなかたちで、大きさは左右10メートル以上、高さは9メートル以上。近年まで杉の巨木の蔭になっていましたが、台風により前面の杉がなくなったことで境内の中心的な花となりました。11月中頃から満開となり、その状態は12月まで続きます。開花している間、神域はサザンカの甘い香りに包まれて木陰はピンクの花びらが絨毯のように敷き詰められます。12月には背景の庭園跡のもみじが紅葉する中に、一際鮮やかなピンクの花を咲き続けます。

藩主が命名した樹齢400年の含紅桜

 

含紅桜
 
藩主は日本一の桜と称えました

含紅桜は江戸時代初期の延宝四年(1676)に宮津藩主であった永井尚長が命名した桜で、ヤマザクラの仲間ではないかと分類されていますが、枝は美しく垂れさがり、開花後日を重ねると共に薄紅色に変化してゆき、やがて艶やかな桜吹雪を散らせます。
尚長侯は山王宮の地をこよなく愛し、神域やその周辺に十六の景勝を定めてその各々の詩を作っていますが、この桜はその当時すでに見事な花を咲かせ、藩主はこれを含紅桜と名付けました。やわらかな紅色に染まる桜の意でしょうか・・その美しさは漢詩の中でつぎのように称えられています。

 

この詩から三百有余年の時が過ぎる中、含紅桜は城下町宮津の変遷を静かに見守りながら朽ち老いてゆき、大きな幹も今や皮だけとなってしまいました。しかし春爛漫にはその名のとおり、薄紅色の花弁に若芽を重ねて当時の藩主の想いを今の世に伝えてくれます。

 

散り際に紅色に変化します

 

京都府により幾度も蘇生事業が行われています

平成19年3月、宮津市は境内の漱玉亭大サザンカと共に含紅桜を天然記念物として文化財に指定しました。「宮津の歴史を伝える偉観・貴重な老樹」として評価されています。

平成21年には含紅桜を守る会が結成されました。守る会は「京都府緑と文化の基金」の補助を申請し樹木医による不定根の再生や土壌改良を三年間をにわたって継続しました。また、平成30年には京都府「京の森林文化を守り育てる支援事業」の補助を受け、再び大規模な蘇生事業が執り行われました。昔も今も多くの方々に見守られながら宮津の桜の名木として含紅桜は美しい花を開き続けています。

 

 

ツワブキの群生


ツワブキ

石段左側に群生するツワブキ

ツワブキの花 10月中頃から満開に

初土俵入の頃、境内は黄色の菊に似た花々でいっぱいになります。それはツワブキと呼ばれますキク科の植物で山王宮はその群生地として知られています。
ツワブキは通常海岸付近に自生します。山王宮は宮津の町や海を見下ろす丘にあり、晴れた日には宮津湾に向いた広い参道を常に海からの心地よい風が吹き抜けます。そのためツワブキの生育に適度な環境が整い群生したと考えられています。したがって風の通らない、参道から離れた境内地以外に、付近ではツワブキを見つけることはできません。開花の期間は長く、10月初めから11月中旬まで境内には幾千もの花々が咲き誇り、その期間神社は花を愛でる市民で賑わいます。

ツワブキ

初土俵入に合わせように咲き始めます

毎年、初土俵入にあわせてツワブキの開花が始まります。満開にはあと少しですが、化粧回しを付けた可愛らしい幼児達の背景に黄色い花々を見ることが出来ます。10月下旬の満開が過ぎて、ツワブキの花が終わりかけると入れ替わるように天然記念物のサザンカが咲き始めます。

 

 

椎の御神木


参道最初の石段を上がると中央に朱の玉垣に囲まれた御神木があります。この御神木はスダジイという椎の木で、樹齢800年とも1000年とも言われますが必ずしも定かではありません。ただ、巨木を育む神域が本殿右側の摂社・杉末神社から一千数百年の歴史を持つ神域であることを考えれば、参道の真ん中にそびえ立つこの椎の樹齢はそうした数々の推測に耐えるとも言えます。

御神木

江戸時代の境内絵図には今と変わらぬ同じ姿のご神木が描かれており、その頃綴られた宮司家日記にはこの木を崇めて「椎屋日記」の名が付けられています。まさに山王宮の象徴として悠久の年月を重ねてきた御神木です。秋にはたくさんの大粒の実がたわわに稔り、ほのかに甘く昔は食用とされました。神社では水に浸して保存してお正月に白米とまぜて神前にお供えする習わしが残っています。

手水舎裏にも同じ太さの椎の大木があります。こちらは御神木に比べてはるかに勢いがよく、幹はしっかりとしており生命の力強さを感じることができます。